2019年8月21日水曜日

わが心の歎異抄


                                                                                    1909-5-31
親鸞の思想は、「悪人正機説」と「二種回向」である。「悪人正機説」は第3章に明記されていて、歎異抄の中でも最も有名な文である。一方、「二種回向」は往相回向・還相回向を指す。往相とは弥陀誓願不思議によって浄土に往生すること、還相とは再びこの世に還り来て、この世の人々を救わんとすることである。親鸞の主著「教行信証(国宝)」では往相回向・還相回向がセントラルドグマであるという。「歎異抄」では「二種回向」は明確ではないが、精読すると、第4章に「浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもて、おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。」、第5章に「ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道、四生のあいだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもて、まづ有縁を度すべきなり。」と記されており、親鸞は唯円に真宗のセントラルドグマを伝えている。「二種回向」の考えは縄文時代から日本人の心の底に植え付けられている「人間は死ぬと近くの山に行き、やがて、再びこの世に生まれ変わる」という死生観と合致するところが大きい。親鸞は九歳で比叡山に入ってから約20年間修行する。親鸞にとって比叡山は母なる山である。親鸞は「天台本覚思想」の醸し出す雰囲気の中で修行したと思う。「山川草木悉皆成仏」の考えは少なからず親鸞に影響を与えた。「天台本覚思想」は日本人の心底に響くものがあり日本の仏教の根本的な思想となっている。即ち、日本の仏教は縄文時代から流れる日本人のこころを包み込み、そして親鸞の往相回向・還相回向はその流れの中にある。4.おわりに親鸞の言葉を聞語りとしてまとめた唯円の「歎異抄」は縄文時代からの日本人の心の原風景を反映したものである。だからこそ、親鸞の思想のエッセンスを格調高く名文でまとめた「歎異抄」は日本人の琴線に触れて愛読され続けるのである。