私は天台宗の寺の檀家として二十数年間、世話人をしている。天台宗の開宗1200年の年に比叡山から法名をもらった。「叡文」という。叡文坊になったのである。しかし、わが家の書棚は最澄よりも親鸞に関する本が多い。笠原一男、赤松俊秀、梅原猛、増谷文雄の本に混じって今井雅晴著「親鸞とその家族」や「わが心の歎異抄」等がある。
・ 歎異抄の魅力
高校生の時に父に倉田百三の「出家とその弟子」を買ってもらった。父はこの本を知らなかったようで「歎異抄」の焼き直しと言ったら、即、買ってくれた記憶がある。
出家が弟子に話す優しい言葉に惹かれた。友人の母親に貸したら「暗い感じの本」という読後感であった。「わかっていないな」と密かに思った。大学に入って初めて「歎異抄」を読んだ。古文で記した文章は慣れていないこともあって殆ど理解できなかった。しかし、簡潔な文体の名文である歎異抄の不思議な魅力に惹かれ、時々思い出しては手にとって見るようになって40数年になる。
・ 往相回向・還相回向
歎異抄から見える親鸞の思想は、「悪人正機説」と「二種回向」である。「悪人正機説」は第3章に明記されていて、歎異抄の中でも最も有名な文である。一方、「二種回向」は往相回向・還相回向を指す。往相とは弥陀誓願不思議によって浄土に往生すること、還相とは再びこの世に還り来て、この世の人々を救わんとすることである。
親鸞の主著「教行信証(国宝)」では往相回向・還相回向がセントラルドグマであるという。
「歎異抄」では「二種回向」は明確ではないが、精読すると、第4章に「浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもて、おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。」、第5章に「ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道、四生のあいだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもて、まづ有縁を度すべきなり。」と記されており、親鸞は唯円に真宗のセントラルドグマを伝えている。
「二種回向」の考えは縄文時代から日本人の心の底に植え付けられている「人間は死ぬと近くの山に行き、やがて、再びこの世に生まれ変わる」という死生観と合致するところが大きい。
親鸞は九歳で比叡山に入ってから約20年間修行する。親鸞にとって比叡山は母なる山である。親鸞は「天台本覚思想」の醸し出す雰囲気の中で修行したと思う。
「山川草木悉皆成仏」の考えは少なからず親鸞に影響を与えた。「天台本覚思想」は日本人の心底に響くものがあり日本の仏教の根本的な思想となっている。
即ち、日本の仏教は縄文時代から流れる日本人のこころを包み込み、そして親鸞の
往相回向・還相回向はその流れの中にある。
親鸞の言葉を聞語りとしてまとめた唯円の「歎異抄」は縄文時代からの日本人の心の原風景を反映したものである。だからこそ、親鸞の思想のエッセンスを格調高く名文でまとめた「歎異抄」は日本人の琴線に触れて愛読され続けるのである。
歎異抄の著者・唯円開基の報仏寺
報仏寺は水戸市河和田にある。枝垂桜が見事である。
唯円開基の大きな碑 |
法喜山泉渓院報仏寺 浄土真宗のお寺である |
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